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今日は新聞から抜粋記事 [地方紙]

せんべいまゆさん
私も次男坊です。 長男は妻の母と住んでいましたが、今は亡くなりました。
でも 今度は義姉が動けなくなり母を見るどころではないためかみさんに苦労掛けています。

inukkoroさん
中立では有りませんよ。 かみさん寄りです。 何故って 一緒にいた時間は倍ほどあるから。
産んだのは母でも 育てのは?かみさんだからねー。

TV報道の通りマップの表示が問題のようです。
ios5でも問題ないようですから 暫くは5のままの方が良いかも。
改善するらしいからそれからでも良いと思う。
使い勝手は同じだと思うけど。

1978(昭和53年)10月1日
 えびの市から熊本県人吉市に向かうには、加久藤峠の名で知られる国道221号の山岳区間を通過せねばならず、自動車時代を迎えても峠越えは約2時間を要していた。
 このため、国は1966(昭和41)年から改修に着手。72(同47)年に加久藤トンネル、77(同52)年に人吉ループと順次完成し、えびのループが開通した。翌年夏に全工事が終わり、えびのー人吉の所要時間は30分と大幅に短縮された。
 えびのループ区間は3..3㌔で標高差は約70㍍。山をぐるりと2周する形で上り下りするルートには「雲海トンネル」 「観望トンネル」や、 「ひむかいはし」 「霧の大橋」など七つの橋が整備され、工事には45億7千万円を費やしている。
 開通時には国道人吉都城線改修促進期成会主催の式典が開かれ、本県、熊本県から約150人が参加。
産業経済観光道路として開通を祝った。
 トンネル名からも分かる通り、加久藤盆地に出現する雲海の絶好の観察スポットとしても市民に親しまれている。

以上が昨日の宮日新聞からの抜粋である。
1966年と言えば私も高校生だった。 72年は娘の生まれた年。  83年に現在の地に住みだしてもうすぐ30年。
その間この地域も高速道が開通したりで色々替わった。
鉄道が宮崎県で最初に出来たのも此処だしで100年。
高速道も最初だった。  陸の孤島で有名だった宮崎県では交通の要所だったことが覗える。

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えびの情報

赤や白の鮮やかな花々ずらり。 えびの市妙見原地区の市道に彼岸花見頃。

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宮崎日日新聞 [地方紙]

私が毎日読んでいる地方紙新聞におもしろい批評がありましたので紹介します。

くろしお

9カ月ぐらい前だったかな、 「宮崎自民一座」の3幕物の芝居があったのは。その続編で「嵐前夜」というのを近くやるらしい。 一座もごたごたが続く。客が入るかどうか
あれから事情がだいぶ変わったよ。 一座の看板で現役を引退すると発言した中山成之丞が、 一転して復帰を宣言した。 一座にはぜひ自分が必要だと。 ひいき筋の「やめないで」の嘆願書を携え、一座を飛び越えて親方筋に直談判した。親方も実際は困ったろうね。
この振る舞いに一座が激怒した。 既に後釜には上杉光五郎を据えていたのに、勝手にかってに復帰と言い出したばかりか、一座の頭越しに親方詣で。メンツ丸つぶれだからね。光五郎に継がせると啖呵を切り、認めなければ座をつぶすと迫った。
一時主役になりかけた「県民座」の東英之進は、今回は舞台に上がらないよ。地元どころか中央の舞台に立とうとして、後援者やファンから総スカンを食った。少しほとぼりを冷まさないとねえ。でも本人はあきらめていない。役者根性は誰にも負けてないから
成之丞か光五郎か…。困った親方は結局後継者決定を見送った。一人に絞れなかったんだ。「けんか両成敗」のつもりだろうけど実態は「触らぬ神に祟りなし」「臭い物にふた」だよ。客の入りが少ないと、ここまで自信なくすかね。
それで二人の投票結果を待つことにした。勝った方が後釜になると。でも考えてごらん。人気絶頂期ならともかく今は客がまばら。いつの間にか近くに「民主座」ができ、客が流れているらしい。ごたごたを解決しないと客はそっぽ向くね。

以上です。私にとってはとっても面白く的を得た論評でした。
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